KOTOBAYA 雑記帳

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
深い喜び、深い悲しみ 22:55
0



    これ、去年から流れているスパリゾートハワイアンズのテレビCMなんだけど、めちゃくちゃ好きなんだ。ローカル感たっぷりだけど、待ちきれないワクワク感が伝わってくる。家の中で水着になんかなっちゃって、浮き輪なんか準備しちゃって、「早く行きたーい!!」って気持ちがビンビンしてるよね。こりゃ連れていかなきゃでしょ。

    こんなふうに、心の奥底から湧きあがるようにうれしかったり楽しかったりする感じ、もう、忘れちゃったな。年を重ねていくうちに、もっと深い喜びも、そして、もっともっと深い悲しみも経験しているはずなのに、いつだって、すぐに「それでどうするか」を考えなければならなくて、じっくりと喜びや悲しみにくれる時間さえなくしていたような気がする。

    どういうんだろう。しょせん努力で解決できることなんて大したことじゃない。私がすぐれた人物だからおなかいっぱいごはんが食べられるわけでもないし、寒くても暑くてもエアコンで快適に過ごせるわけでもないんだもんね。ハワイアンズに行けるような平和な国に生まれたんだから、それ以上の悲しみや苦労は自分でなんとかしないといけない気がしてくる。内紛が起こっている地域の人たちにこそ神様のご加護がありますように。

    | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
    今だったんだ。 15:06
    0



      普通だったら親しく言葉を交わすことさえはばかられる大先生にひょんなきっかけでお世話になってこんな言葉を贈っていただいた。休むことなくやってくる日々の難題に辟易としていたときのこと。科学者として高名な某先生からいただいたのは、なんと旧約聖書伝道者の書3章でした。しっかり心に留めておきたいと思います。


      天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
      生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
      植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
      殺すのに時があり、いやすのに時がある。
      くずすのに時があり、建てるのに時がある。
      泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
      嘆くのに時があり、語るのに時がある。
      石を投げるのに時があり、石を集めるのに時がある。
      抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
      捜すのに時があり、失うのに時がある。
      保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
      引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
      黙っているのに時があり、話しをするのに時がある。
      愛するのに時があり、憎むのに時がある。
      戦うのに時があり、和睦するに時がある。


      今起こっていることは近すぎて人生のどういう点になっているのかわからないけれど、いつか高いところから全体を見下ろしたら巨大壁画の重要な1つのパーツになっているのかな。それがだんだんわかってくるまでにはもうちょっと時間がかかりそうだけど、今起こったということは、今が起こる時期だった、起こるべくして起こったってことなんだね。



       
      | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
      幸せが自分のことであるうちはたいした人生ではない 01:33
      0



        「Nのために」ってドラマが気になっている。まだ途中なので合点がいかないことばかりだけど、ひどく哀しく切ないドラマだ。

        原作者の湊かなえさんが「幸せが自分のことであるうちはたいした人生ではない」って言ってたけど、ほんとだね。「幸せになりた〜い」なんて言ってるようじゃ、まだまだお子ちゃまってことだ。その意味じゃ、守るべきものを持つことができた人は幸いなのかもしれない。「幸い」と「幸せ」は似てるけど、まったく違うものなのかも。

        よく、私たちは神様と取り引きするよね。「○○を頑張るから△△しますように」とか、「私はどうなってもいいから、○○が△△できますように」とか。お百度参りやお茶断ちは、自分に困難を課すことで願いをかなえようとする行為だよね。そうやってだれかが背負っている「苦」を、形をかえて自分が引き受けようとしている。引き受けることができないとしても、共有するってことかな。

        大切なだれかのために自分ができることがあるなら、それが自分にとっての幸いだと思えてしまうんだから、人間てやつはつくづく不思議だね。おやおや〜、自分が幸せになることはさほど大切じゃないって考えてみたら、すんごく気持ちが軽くなってきたぞ。しめしめ。幸せという呪縛から解放されたかな。

         

        | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
        孤独死じゃなくて孤高死と呼ぼう 07:50
        0





          余命も残すところあと50年余になり、クオリティ・オブ・デスの考え方の普及とあいまって、私も自分の死に方のことを考えるようになってきた。これからは医療と介護の境目がなくなって、治療しない看取りの医療が主流になっていくんだろうな。お医者さんも、苦痛なく日々を過ごすお手伝いに役割が変わるだろうし、病気を持ちながらも何とか折り合いをつけ、自分らしく最期まで生き切る時代がやってくるんだ。


          ひとりで死ぬことを「孤独死」といかいうけど、名前が悪いよ。たまたまそのときそばに誰もいなかっただけであって、その人の人生が孤独だったかどうかなんてわからないじゃん。どうせだったら「孤高死」とかにしてほしいよね。「孤独」だと手助けしてあげなくちゃならなくなるけど、「孤高」なら、死んで1週間ぐらい気づかなくても「あらあら。いつあちらへ? お疲れさまでした」ってふうになるもんね。私は最期まで孤高でいたい。


          私の場合、病気が見つかって治療しなければならなくなれば、それは仕事ができなくなることを意味している。仕事ができなくなれば収入がなくなる。収入がなくなれば生きていけない。だから、無駄に健診なんかせずに自然体で過ごしたい、それが私にとっていちばん合理的だとずっと考えてきたけれど、なかなか受け入れてもらえなかった。よしよし、ようやく私の考えに時代が追いついてきてきたぞ(てへっ!)って、そう都合よくいかないよな。私もそのときになれば、きっと生への執着が芽生えたりするんだろうな。健診かあ、行ってみようかな。

           

          | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
          かわいそうと言わないで 07:11
          0




            風の噂で聞いたんだけど、小中学校の同級生のやんべよしみちゃん(仮名)が病気で亡くなったそうだ。時折、同い年で逝ってしまった人の話を耳にすると、まだまだこれからなのにとすごく残念な気持ちになる。


            ただ、よしみちゃんは別の意味で話題になっていたんだ。それは彼女が独身であったことと、ご両親は既に他界されていて、唯一の肉親であるお姉さんとは数年前から連絡が取れない状態になっていたということだ(聞いた話)。


            静かに息を引き取っても、肉親がいないために、市役所の人と隣近所のごくわずかな人たちが簡単な葬儀をして彼女を送ったそうだけれども、そのことを教えてくれた友達が、「かわいそう、かわいそう」と連発するんだよね。それはそうなんだけど………


            私はその話を聞いたとき、「よしみちゃん、偉かったね。最期まで一人で頑張ったんだね。立派だよ」って思った。それは、自分自身と彼女とをいつしか重ね合わせていたからだと思う。


            不安な気持ち、絶望的な時間を自分の胸だけにしまって、淡々と人生を全うした彼女のことを、かわいそうと言ってしまうのはあまりにも酷だ。私だったら「よく頑張ったね」って言ってほしい。一人がみじめなんてことはない。

            | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
            このたび、自己投資をやめまして・・・ 06:12
            0




              4月の年度替わりを機に家の中を思い切って整理した。シンプルに逝くための老前整理と言いたいところだけれど、それにはちょいと気が早すぎる。そうそう、少し前に流行った「断捨離」というところだろうか。


              押し入れ一つを片づけるにも一苦労。またたくまにごみ袋がいっぱいになる。今となっては、どうしてこれが欲しかったのかさえわからない「モノ」たち。役に立たなかった子どもの学習教材の多さには笑えたけれど、子どもだけではなく、愚かなほど自己投資をしてきたことに自分でもあきれた。私はどんだけ自分に期待してたんだろう。


              大人になってから始めた英語教材や、急に勉強したくなって買った分厚い専門書、途中で挫折した通信教育の教材、なぜかドイツ語やイタリア語辞典まである。何よりもったいないのは、ほんの1回か2回しか着ないまま肥やしとなるしかなかった慶事用のパーティフォーマルかな。おめでたいこととか華やかな席なんて、ほとんど縁がないしね。


              大したことも成し遂げられずに「いい大人」になってしまった自分。こうしてみると、私が生きてきたこと自体がムダだったような罪悪感にさいなまされる。私という人間が一人いなかっただけでも、これだけのゴミが減らせたはずなのに。


              私がムダにしたのはそれだけではない。なんでも、ヒトが一生に食べる食べ物の量は約50トンだそうだ。重さだけでいえば、プールの水を一生かけて飲み干す感じかな。そんだけ食べても結果はご覧のとおり、残念な人間が一人できあがっただけだった(まだ途中だけどね)。犠牲になってくれた豚さんや鶏さんやお魚さん、ほんと、ごめんね。もっと私がマシな人物になっていたなら、あなたたちの犠牲も報われただろうにね。


              これからは、持っている本を読み返し、着古した服を繰り返し着て、自然が奏でる音楽を楽しむことにしよう。そして、少しのご飯を大切にいただくことにしようっと。いくら自己投資しても、このままじゃどう考えても元本割れしそうだもんね。

               

               

              | 生きていくこととか | comments(2) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
              いつも誰かは誰かより弱い虫 01:09
              0




                泣けた。しっかり泣けた。――誰かが不幸になったからといって、自分が幸せになれるわけじゃないのに、人はみんな、自分より弱い立場の人を上手に探しては攻撃の対象にしようとする。弱い虫として生きていくことを強いているのは周囲の目なんだね。本当のことを言えば世の中はわかってくれるなんて、うそっぱちなんだね。

                同じものを見ていても、隣の人とは全く別のものに見えているとしたら、どうやってわかり合えばいいんだろう。本当のことって、いったいどこにあるんだろう。そもそも、決して誰のことも悪者にしないで生きられる強さなんて、どうみても私の中に見当たらないのがひたすら悲しい。



                パラパラ漫画を描いたのは鉄拳さんだ。たしか、スケッチブック片手に「こんな○○はいやだ」といっては笑わせてくれたよしもとの芸人さんだよね。パラパラ漫画で描くからこその味わいがあって、ほんと、ぐっとくる。はじめは、どうして「有罪」にしたのか理不尽すぎる気がしたけれど、きっと私たちに、「こんな世の中はいやだ」と訴えたかったんだろうね。

                | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                カリギュラ効果か自傷行為か 04:38
                0

                   

                  浦島太郎はどうして玉手箱を開けちゃったんだろう。鶴を女房に迎えた男は、どうして機織りの部屋を覗いちゃったんだろう。禁止されると、かえってやりたくなる心理のことを「カリギュラ効果」というのだそうだけれど、それは、好奇心がくすぐられるって意味だよね。


                  それとはちょっと違って、玉手箱を開けたらよくないことが起こりますよ、機織りの部屋を覗いたら取り返しのつかないことになりますよ、ということがわかっていても、やっぱり私たちは同じことをしてしまう。こんな言葉があるかどうかわからないけど、いわば「破壊的安定欲求」的なやつ。いわゆる自傷行為だね。


                  よく子どもなんかでも、積み木でつくったお城が完成する寸前で、わざと自分で壊しちゃったりすることあるよね。きっと、完成して目標が喪失するのが怖いんだろうね。かさぶただって、乾いてくると決まってはがしたくなる。癒えることがもったいないんだ。


                  「破壊」は、それ以上壊れることがないという意味で最高に安定している。でも、いつだって自分自身を傷つける。それじゃ、どうすればいいんだろう。


                  やっぱり、玉手箱の存在自体を忘れてしまうに限るね。気を紛らわすってやつ。それで人は、お酒を飲んだり、カラオケに行ったりするんだね。私も、仕事の後の発泡酒(ロング缶)なしじゃ生きていけないもの。忙しい人にはこっちがお勧めだ。


                  もう一つある。それは、毎日玉手箱を目の前に置いて、眉間にしわを寄せながら、開けないことの意味とか、開けた結果の予測を、しゃちこばって考え続けることだ。いずれ開けてしまうにしても、これでかなりの時間稼ぎになる。やっかいな玉手箱の存在が、私たちを無理やり成長させてくれるんだ。


                  鶴を女房にした男も、甘い汁を吸いながら、何かしっくりこないものを感じていたんじゃないのかな。自分が主役じゃないものね。ほっぺたをつねってみたら夢から覚めちゃったわけだけど、鶴とずっと一緒にいるよりも学びの多い豊かな人生だったに違いない。彼にだって傷ついてうちのめされる権利くらいあったはずだもの。

                  | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                  親は最大の環境だ 10:09
                  0

                     

                    NHK大河ドラマの「平清盛」、見たいのにちっとも見る時間がないけど、私がこのドラマに興味を持ったのは、内容よりも、むしろ題字を書いた女の子のほうだった。


                    金澤翔子さんはすばらしい書家だ。書のことなんかこれっぽっちもわからない私だけど、彼女の作品に自然と心がきゅんとなる。「ダウン症の書家」として紹介されることが多いけれども、作品のすばらしさは、仮に彼女が健常者であっても揺るがないだろう。でも、もしも人と競うことなく天真爛漫に生きることが健常者には難しいのであれば、その意味では、彼女がダウン症であったからこそ生まれた作品なのかもしれない。


                    金澤翔子の世界
                    http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.html

                    「月光」「如来」「飛天」……、ああ、なんという感動☆


                    彼女のお母さんもまた書家である。こう考えると、親とは子にとって最大の環境であるとつくづく思う。ロンドンオリンピックのメダリストをとってみても、親御さんが選手や指導者であった人の何と多いことか。レスリングの吉田沙保里さんはじめ、体操の内村航平くんや田中きょうだい、卓球の石川佳純さん、フェンシングの太田雄貴さん、千田健太さん、重量挙げの三宅宏実さん、ハンマー投げの室伏広治さん、ほかにもいっぱいいっぱい。


                    改めて、親の影響が子に及ぼすものの大きさに、ただおそれをなすばかりだ。これってかなり怖いよね。そこで、「ごめんね、こんな親で」と謝ってみると、「いいよ、いいよ。まあまあな線いってるから大丈夫」との反応。これって喜んでいいんだよね?


                    ただ、金澤翔子さんのお母さんは、自分の子どもがダウン症だということが受け入れられずに、最初のうちは毎日死ぬことばかり考えていたと語っていたよね。ダウン症の宣告は絶望であったと。その言葉は重い。きれい事なんかじゃ済まされない葛藤がきっとあったんだろうね。新型の出生前診断のことが話題になっているけれど、私はそれをどう考えたらいいのかわからない。ただわかるのは、翔子さんの書がすばらしいということだけだ。

                    | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                    我流解釈『100万回生きたねこ』 10:15
                    0



                       
                      『100万回生きたねこ』は、人を愛するすばらしさとか命の大切さを教えている大人のための絵本だ、みたいな書評をよく目にする。確かに買ったときは私もそう思ったよ。あれからかなり年月が過ぎて、その間にこの絵本は人々の間に広く浸透していった。いま、あらためて読み返してみると、若かったころとはちょっと違った感想になっていることに自分でも驚く。これは、私自身がねこと同じように、何回も死んで、何回も生きたからなんだろうか。


                      --------------------------------------------------------------


                      まず、100万回という数字だけど、これは特別な意味があるわけじゃなく、象徴的な数字だ。つまりは「何回も何回も生きた」ということがわかればいいわけで、「ちびくろサンボはホットケーキを169枚食べました」と同じように、それが本当かどうかなんてどうてもいいんだ。


                      実際、絵本に書いてあるのを取り上げる限りでは、ねこが死んだのは6回、いや7回だね。


                      1 王さまのねこ     →  矢に当たって戦死
                      2 船のりのねこ     →  船から落ちて水死
                      3 サーカスのねこ    →  手品つかいによる過失殺人(殺猫)
                      4 どろぼうのねこ    →  犬にかみころされる事故死(労災)
                      5 おばあさんのねこ   →  老衰
                      6 女の子のねこ     →  おぶいひもがまきついて窒息死

                      7 誰のねこでもないねこ →  原因不明

                       

                      このねこは、何回生きてもあんまり幸せじゃなかったわけだけど、考えようによったら、ねこのたどった道は自分自身のこと、もしくは一人一人の人間の人生ともとらえられる。そうすると、死んだというのも象徴的な意味で、死ぬほど大変な出来事に何回も遭遇したってことになるね。確かに誰しも人生において6回くらいは(いや、もっともっと何回も)危機的な状況に陥ることがあるもの。


                      海に遊びに行って波にさらわれそうになったり……
                      受験に失敗して失意のどん底に落ちてしまったり……
                      自動車運転中に、子どもが飛び出してきて急ブレーキをかけたり……
                      恋人にふられて自暴自棄になったり……
                      信頼していた人に裏切られて借金を背負ったり……
                      自分のミスのせいで会社が大きな損失を出してしまったり……


                      ほうら、誰でも人生に何回かはゆうに死んでるんだ。それでも命が続いているから、いや応なしにあしたを生きる、ただ、その繰り返しなんだ。「ねこ」は、別に好きで生きたんじゃなくて、生まれてきたから生きていたんだよ。100万人の人(=たくさんの人)にかわいがられている(=支えられている)ことにも気づかずに、ただふてくされながら。


                      ところが、白いねこの出現でそんな毎日が一変してしまう。自分より大切に思える人(ねこ)ができたとたん、いつ終わりになっても全然平気だと思っていた命に執着心が出てくる。ねこは初めて、いつまでも生きていたいと思うようになるんだ。私たちだって、若いときは「そんなに長生きしなくてもいい」なんてうそぶいているけれど、かけがえのないものが見つかると、ずっとずっと生きていたいと思うものね。


                      しかし、命あるものはみんな死を迎える。大切なものを失った悲しみは誰だってつらく悲しい。でも、もうねこは、自分の身に降りかかってきた困難を無理に乗り越えなくていいほど十分に生きていたんだ。だから静かに死んでいった。それはきっと幸せな死だったんだと思う。つまり、『100万回生きたねこ』は、死という救済のお話ってことなんだと思う。私はこんなふうに思いたい。

                      | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                      『青い鳥』が、もし「赤い鳥」だったら 00:35
                      0





                        子どものころ読んだメーテルリンクの『青い鳥』、でも、読んだときは物語の意味なんてちっとも気づかなかった。そもそも、自分ちで飼っていた鳥が実は青い鳥だったというオチに、「なーんだ」と落胆さえ感じたくらいだもの。わくわくするような冒険を期待している子どもに、やっぱ、あの結末は無理でしょ。印象に残ったのは、おばあさんにもらった変な帽子と、次々と現れる不気味な世界、途中で読むのをやめたくなるほど怖かった記憶がある。


                        今ではみんな一般常識として、『青い鳥』というのは幸せの象徴で、それは実は自分の足元にあるという意味だと知っているけれど、今の若い子はこうした古典的な童話はあまり読まなくなった気がする。質の高い創作童話がいっぱいあるもんね。だから『青い鳥』は、物語自体よりも、むしろ「青い鳥症候群(理想の仕事を求めて転職を繰り返すザンネンな人)」のほうが有名になっちゃった。


                        でも、思うんだけど、あれって本当に「幸せは自分の足もとにある」という意味なんだろうか。だって、出かける前におばあさんに「青い鳥はいないかい」と聞かれて、「ボクんちの鳥は青くないよ」と確認しているわけでしょう。それが、帰ってみたらいつの間にか青くなっていたってことだよね。


                        普通に考えれば、チルチルとミチルがいない間に鳥の羽が抜けかわって青になったか(←あり得ないかも)、あるいは、すっかり旅に疲れてしまい、「ちょっと青っぽい気がするから、一応うちのだって青い鳥なんじゃね?」てな具合に妥協したからか(←やっぱ、こっちだよね)、どちらかだよね。まあ、どっちでもいいけど、そんなこと。


                        つまりは、あれは子どものためのものではなく、中年のためのなぐさめの物語で、「上を見ればキリがないけど、うちだってそこそこ幸せよね」とか、「いろいろ苦労はしたけれど、オレの人生もまんざら悪くないかも」なあんて、身の丈にあった幸せで妥協することが『青い鳥』を手に入れるって意味なんじゃないのかなと思うこのごろ。だから、青い鳥は別に青くなくてもいいんだ。赤い鳥が幸せの鳥だと知らされていたら、「うちで飼っている鳥だって、何となく赤っぽいような気がするよね」てな具合になるはずだもの。

                         

                        | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                        星になれ 02:05
                        0





                          ふつーの商店街にも、ひなびた農村にも、やけに輝いているおばちゃんがいたりする。この人、きっとすごく頭いいんだろうな、きちんと勉強したらまた別の道があったのかも、なあんて、人のことながらいろいろ考えてしまうことさえあるほどだ。


                          若いうちは、やっぱり育った家庭環境が大きくモノをいうけれど、人としての本当の力って年を重ねるほどに出てくるものなんだと思う。どんな仕事をしていても、目を見張るぐらいにデキル人ってやっぱりいるんだよね。


                          棟方志功だって、認められるまでにかなりの年数を必要としたし、フジ子・コヘミングだってブレークするまでには極貧の時期を経験している。日の目を見ずに生涯を終えた天才がどれほどいるのかわからないけれど、本物はちゃんと世の中に認められることになっていると信じたい。


                          生きていればいろんなことがあるけれど、振り返れば自分の歩んできた道が長く続いている。この道でよかったんだよ、きっと。県庁の星ならぬ、町内会の星、商店街の星、町工場の星、漁協の星っていうふうに、みんな自分のステージできらきらと活躍できたらすてきだよね。

                          | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                          GReeeeNな新年度 02:28
                          0



                            2月、3月は忙しかったよ〜。息をするのも忘れるくらい。日本は年度替わりの区切りを重視するからどうしても集中しちゃんだよね。毎日へとへとで、くしんどくて、それでもって

                            すんごく楽しかった!!!!! 

                            ああ、幸せ〜。


                            明日は4月1日だ。新年度だね。また一つ扉を開いて次のステージにチャレンジしなくっちゃ。子どものころ思い描いていた人生のストーリーとはかけはなれてしまったけど、まあ、それはそれってことで。とにかく明日を生きなくちゃなんだよね。

                             

                            | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                            小学校の同窓会はごめんです ――中デブのつぶやき―― 02:38
                            0



                              小学校の体育の時間のことだった。先生が、クラウチングスタートのポジションが悪い私に言った。「おまえのことだ、この中デブ!」 何でだろう、小学校の思い出の中で真っ先に思い浮かぶのがあの光景なのだ。


                              中デブのまま私は大人になり、今も中デブを保っている。中デブを自分なりに定義するなら、「あからさまなデブではないが、でも標準よりやっぱデブ」という感じだと思う。的を射ている表現だ。さすが先生だよ。


                              しばらく県外に行っていたけれど、地元に戻ってから小学校の同級生が経営する美容院に時々行くようになった。すると彼女は、「○○君ていたじゃない」とか「△△だったことあったよね」とか、実に詳しく当時のことを語りかけてくる。だけど私はサッパリ覚えていないのだ。きっとこれは、いい思い出を持っている量の差なんだと思う。彼女は何度も思い出そうとした。私はできるだけ忘れようとした。つまりはそういうことだ。


                              また田中慎弥さんの話になっちゃうけれど、例の会見で


                              ―― 地元の恩師の方からもお祝いの声が寄せられています。
                              田中 それは嘘ですね、私は教師に嫌われてましたから。それは本当の嘘です。


                              こういうやりとりがあったよね。彼は本当に先生に嫌われていたんだろうし、別にそれをうらんでもいないんだと思う。だけど、その事実を、時間がたったからなかったことにされちゃうのはやっぱり不本意なんだろうな。


                              こざっぱりとした服を着て、明るく賢い人気者、そりゃあ先生だってかわいがるよ。一方で、どこか辛気くさくてぱっとしない子は、先生にかわいがられないことをさっさと受け入れて学校に通っているんだ。世の中の理不尽さを学んでいるんだから、それはそれで意味のあることだと思う。別にこっちも文句はない。


                              ただね、私は芥川賞なんか取れないし、このまま地味路線で一生を終えるんだろうけれど、まかり間違って注目されることがあったとしても、小学校の恩師にだけはインタビューしてほしくない。恩師を招いての同窓会なんて、何年たってもやっぱり出たくない。

                              | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                              事実は小説よりも名作だ 02:11
                              0



                                 「1本の名作を書ける100人を見つけるのはたやすいが、100本の名作を書ける1人を見つけるのは難しい」、詩人の谷川俊太郎さんが言った言葉だったと思う。確かに何本もの名作を書ける人は特別な才能に恵まれているんだろうね。生み出す苦しみだって計り知れないだろうし、素人にはとてもまねのできない話だよ。


                                だけどね、やっぱり普通の人が人生の中で紡いだ物語にまさるものはないって思うんだ。やさしさや思いやりの中に見え隠れする切なさだとか、挫折や孤独に打ちひしがれているときに触れた愛情だとか、そうしたものが淡々と語られるとき、たとえ表現はたどたどしかったとしても、圧倒的な迫力を持って私たちの胸に迫ってくるんだもの。


                                私は、100本の名作を生み出せなくても別にいいと思う。時間とともに忘れていくおびだたしい記憶の中で、なぜか忘れられない出来事が1つでも2つでもあったなら、それはその人にとって大切な物語に違いない。事実って、もうそれだけで奇跡なんだよね。


                                | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                                泣けました。。。 15:34
                                0



                                  これは泣けるよ。タイの生命保険会社のCMだって。すごい完成度だ。


                                  あのね、目にごみが入ったときに流れる涙よりも、心が打ち震えて流れる涙のほうが、体内の有害物質がたくさん入っているんだって。つまり、涙が毒素を外に出してくれているんだ。いっぱい泣くと体にもいいんだね。これってもしかして、ストレス物質を外に出すための仕組みとして「泣く」という行為を人間は手に入れたってことなんだろうかね。

                                   


                                  悔しいけど、こういう話のとき、母親より父親のほうが何だかしっくりくる。この子は大丈夫。だって、こんなにも愛されているんだもの。

                                  | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                                  下流と呼ばないで 00:18
                                  0



                                     
                                    「下流の宴」があまりにリアリティたっぷりで目が離せない。作者が林真理子さんで脚本が中園ミホさんなんだから、見ないほうが損だよね。

                                    私はあの家族(福原家)をとても笑えない。私がもしも専業主婦のままだったら、きっと由美子そのものだったに違いないもの(美貌は別として)。その意味で、自分の運命に感謝している。とりあえず子どものこと以外に頑張らなければならないものがあってよかった。専業主婦ってさ、いまさらだけど、本当に大変な立場だと思う。並の精神力じゃ務まらない。逃げるところがないものね。


                                    あれは、まだ娘が小学校1年生のときだったろうか、今でもはっきりと覚えているんだけれど、「あなたは本当にかわいいわねえ」と頭をなでたら、「自分の子どもだからそう思うんだよ」と逆に諭されて驚いたことがある。子どもはずっと早いうちから自分の親の親ばかぶりを冷静に見抜いて、それを礼儀として受け取ってくれているのかもしれない。さほどうれしくもない過剰な愛情をあてがわれて、そのかわりママの期待に応えてねって、やっぱつらいよね。


                                    「子どもは親の思うようには育たない」というのはまったくその通りだ。でも、親の立場からしたら、泣けばあやし、夜中に起きてミルクをあげて、おむつを取り替え、悪戦苦闘して離乳食を作り、具合が悪ければ必死で病院に連れていき、やれ歩いただの、やれ走っただの、けがをしただの、字が書けただの、友達とけんかしただの、そうやってずーうっと一緒に過ごしてきて、それでも、親の思い通りにはならない、いや、そうしてはいけないというのは、理不尽といえば理不尽だよねえ。


                                    妻が張り切れば夫は萎える、親が必死になれば子どもはさめる、これって何かの法則だろうか。人を動かすのは難しい。しかし、本人がやる気になりさえすればこっちのものだ。だから、がんばれ珠緒! 底辺からはい上がるために頼れるのはおのれの力だけだ。育ちをばかにするやつの口を封じるには賢くなって見返すしかない。ただね、あなたが人の親になったとき、きっと由美子さんの気持ちもわかると思うよ。

                                    -------------------------------

                                    それにしても、あの受験のカリスマ塾長さん、設定されている経歴なんか○○秀樹さんとかぶりまくりじゃんね。何でも勉強法の描写とかご本人がアドバイスしているらしい(やっぱり)。

                                    それとね、眞島秀和さん演じる北沢さんがめっちゃかっこいい! この方、確か「ゲゲゲの女房」に出ていらした雄玄社の豊川さんじゃないですか。きゃー、どっちもステキ。

                                    | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                                    無縁社会でひっそり死んでいきたいけど…… 23:37
                                    0


                                      2010年の流行語大賞トップ10にも選ばれた「無縁社会」。NHKさんの番組をちらっと見たけれど、善意でのおせっかいを推進している活動団体の方々の意見を聞いているうちに、どんどん気が重くなった。その中で唯一救われたのは、吉永みち子さんの「孤独死を悪いことと決めつけているのではないか」という言葉だった。

                                      例えばだけど、雪道で転んだとき、かっこわる過ぎて、「大丈夫ですか?」と声をかけられるより、見て見ぬふりをしてくださる方のほうがむしろやさしく感じられることあるでしょ? 骨折してたらせっぱ詰まって「助けてください」と叫ぶと思う。だからその間、周囲の人はそっと見守ってあげたらいいんだと思う。大切なのは「人の気配」なんだよね。

                                      人とかかわりたくないって人のこと変人扱いするかもしれないけど、どうして人とかかわりたくないか考えてみたことあるかな? きっとみんな、人に言えない劣等感とか、情けなさとか、あるいは最低限の自尊心とか、いろんなものを抱えているんじゃないのかな。自分ではどうしようもないやっかいなものをキッチンの戸棚にこっそりと隠して、決して誰にも見せず、墓場まで持っていく覚悟を決めているんだと思う。

                                      だからね、地域の人の絆が深まれば深まるほど、逆に深刻な孤立感にさいなまされる人が出てくることは明らかだってことにも気づいてほしいと思う。決して援助が悪いってことじゃないよ。強力な1つの支援よりも、いろ〜んな形のソフトな支援がいくつもあったほうがいいと思ってるってこと。

                                      猫は自分の死期が近付いていることを悟ると、ふっと姿を消すという。そんなふうにふっと消えていけたらいいのにね。そろそろ自分の死に方もちゃんと考えておかないと、ご近所の人に秘密の戸棚をのぞかれちゃう。一人暮らしは目の前だ。
                                      | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                                      欲しいスペックなあに? 12:21
                                      0



                                        さてさて金曜ドラマ「スペック」のお話です。これ、とってもスリリングで、深くて、おもしろくて、オススメです。役者がいいのか、それとも堤監督がただ者じゃないのかわからないけど、一週間の疲れも吹っ飛ぶいいドラマですよ。

                                        ----------------------------------------------------------------

                                        世の中には通常の人間の常識では計り知れない能力(スペック)を持った人間がいるという前提で話が進んでいくけど、さて、あなたが欲しいスペックは?

                                        私の場合、そうだねえ。やっぱり実益を考えちゃうよ。たとえば、睡眠時間なしでも全然問題なく活動できるスペックとか、完璧においしい料理を5分で作ってしまうスペックとか、いくた食べても太らないスペックとか……。

                                        あーあ、発想が貧困すぎる!!! でもね、触るだけで他人のビジョンが見えたり、何キロ離れていても会話を聞きとれたり、将来を的確に予言できたりするスペックがあったら、逆に生きにくいでしょうが。

                                        絶対持ちたくないスペックもある。それは願ったことがすべてかなってしまうスペックだ。ろくなこと考えていないから、自分の願いが片っ端からかなうことを想像しただけで恐ろしい。大金持ちになっても、スタイル抜群になっても、なぜだか幸せになれない気がするし、下手すりゃ犯罪者になりかねないよ。それに、努力を忘れた人生を送っていたら廃人まっしぐら。OH! どうかどうか、それだけは勘弁してください。ラミパスラミパスルルルルル……。
                                        | 生きていくこととか | comments(0) | trackbacks(0) | posted by m-minako - -
                                        やりきれない気持ち 02:02
                                        0


                                          同じ時期に起業した仲間の一人であるH君がすい臓がんで急逝したという連絡を受けた。あまりに突然のことに言葉を失う。私よりずっとずっと若いのに……。これから結婚したり、子供をもうけたり、事業も大きくしたりと、いろんな夢を抱えていただろうに、本人はどれほど無念だったかと思うと胸が苦しくなる。

                                          時々電話したりすると、いつも仕事上の悩みをを聞いて励ましてくれたよね。何度救われたかわからない。ありがとう。それなのにどうして死んじゃったのよ。みんなでわいわい飲みたいねと言ってたのに。もう二度と会えないなんて悲しすぎる。

                                          ねえ、神様はどうやって人の運命を決めているの? 本人に相談なしで勝手に決めちゃうなんてひどいよ。どんなに残酷なことでも受け入れる以外にないの? 絶望にはどういう意味があるの? やりきれない気持ちで1日を過ごした。
                                          | 生きていくこととか | - | - | posted by m-minako - -
                                          | 1/2 | >>