『100万回生きたねこ』は、人を愛するすばらしさとか命の大切さを教えている大人のための絵本だ、みたいな書評をよく目にする。確かに買ったときは私もそう思ったよ。あれからかなり年月が過ぎて、その間にこの絵本は人々の間に広く浸透していった。いま、あらためて読み返してみると、若かったころとはちょっと違った感想になっていることに自分でも驚く。これは、私自身がねこと同じように、何回も死んで、何回も生きたからなんだろうか。
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まず、100万回という数字だけど、これは特別な意味があるわけじゃなく、象徴的な数字だ。つまりは「何回も何回も生きた」ということがわかればいいわけで、「ちびくろサンボはホットケーキを169枚食べました」と同じように、それが本当かどうかなんてどうてもいいんだ。
実際、絵本に書いてあるのを取り上げる限りでは、ねこが死んだのは6回、いや7回だね。
1 王さまのねこ → 矢に当たって戦死
2 船のりのねこ → 船から落ちて水死
3 サーカスのねこ → 手品つかいによる過失殺人(殺猫)
4 どろぼうのねこ → 犬にかみころされる事故死(労災)
5 おばあさんのねこ → 老衰
6 女の子のねこ → おぶいひもがまきついて窒息死
7 誰のねこでもないねこ → 原因不明
このねこは、何回生きてもあんまり幸せじゃなかったわけだけど、考えようによったら、ねこのたどった道は自分自身のこと、もしくは一人一人の人間の人生ともとらえられる。そうすると、死んだというのも象徴的な意味で、死ぬほど大変な出来事に何回も遭遇したってことになるね。確かに誰しも人生において6回くらいは(いや、もっともっと何回も)危機的な状況に陥ることがあるもの。
海に遊びに行って波にさらわれそうになったり……
受験に失敗して失意のどん底に落ちてしまったり……
自動車運転中に、子どもが飛び出してきて急ブレーキをかけたり……
恋人にふられて自暴自棄になったり……
信頼していた人に裏切られて借金を背負ったり……
自分のミスのせいで会社が大きな損失を出してしまったり……
ほうら、誰でも人生に何回かはゆうに死んでるんだ。それでも命が続いているから、いや応なしにあしたを生きる、ただ、その繰り返しなんだ。「ねこ」は、別に好きで生きたんじゃなくて、生まれてきたから生きていたんだよ。100万人の人(=たくさんの人)にかわいがられている(=支えられている)ことにも気づかずに、ただふてくされながら。
ところが、白いねこの出現でそんな毎日が一変してしまう。自分より大切に思える人(ねこ)ができたとたん、いつ終わりになっても全然平気だと思っていた命に執着心が出てくる。ねこは初めて、いつまでも生きていたいと思うようになるんだ。私たちだって、若いときは「そんなに長生きしなくてもいい」なんてうそぶいているけれど、かけがえのないものが見つかると、ずっとずっと生きていたいと思うものね。
しかし、命あるものはみんな死を迎える。大切なものを失った悲しみは誰だってつらく悲しい。でも、もうねこは、自分の身に降りかかってきた困難を無理に乗り越えなくていいほど十分に生きていたんだ。だから静かに死んでいった。それはきっと幸せな死だったんだと思う。つまり、『100万回生きたねこ』は、死という救済のお話ってことなんだと思う。私はこんなふうに思いたい。