これってアイデンティティー? | 12:48 |
よくないことが身に降りかかってきてさんざん悩んだり苦しんだりしたことでも、振り返ってみると、「こうなってよかったんだ」とか、「あの時あの事があったから今の自分があるんだ」とか、「あれを経験したことで人生が豊かになった」とか、みんな異口同音に言ったりするよね。
今まで私は、そういう言動はすべて、そこに何らかの意味を見いだして自分を納得させる人間の持つ大いなる意味づけ能力のためだと思っていたんだ。心理学的にいえば適応機制ってやつ。人間ってやつは意味づけが大好きだもんね。
でも、最近ちょっと違うのかなって思えてきた。意味づけなんかじゃなく、本心からそう思っているんじゃないかって。人と違うことを体験することで自分の輪郭がはっきりしてくる、自分の存在というものが浮き彫りになる、だから、どんな体験であっても自分にとってなくてはならないものになるんじゃないかって。
よく、女人禁制のお祭りなんかで、「どうして女性はだめなの?」と詰め寄る人がいたりするけど、個人的にはナンセンスだと思う。どうして同じことをしたいのかな、女性である自分を再確認できるいいチャンスなのになって疑問が浮かんでくる。(もちろん考え方はさまざまだから、女性にも御輿をかつがせろと言う人がいても別にいいけどね)
制限があるほうが、かえって見えてくるものってあるよね。文字数無制限、しかも自由なタイトルをつけて好きなことを書きなさいといわれたら書く気がしないことでも、題名や文字数が決まっていたら何とか書けそうに思えてくる、あれと一緒かな。伝統文化の華道とか茶道だって、型があるからこそ個性がきらめくわけでしょう?
あれもこれもと手にすることだけがいいことなんだろうか。自分が手に入れられなかったもののおかげで、ほかの誰でもない自分になれるってことがあるんじゃないのかな。まあね、こんな思春期みたいなことを考えていまさらどうするのって話なんだけどね。