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電源を入れても起動しない古〜いパソコンを処分したくて、それでも情報の漏洩が心配だったから、ハードディスクを自分で取り外してみることにした。手動でのデータ消去ができないから仕方ない。大丈夫かな、私にもできるかな。
もちろん、正規のルートで製造メーカーさんにお願いすれば心配ないんだろうけれど、何事も経験だし、心理的な安心を担保したいもんね。ドライバー片手におそるおそるカバーを外してみると私の知らない世界。へえ、パソコンの中身ってこうなってるんだ。どれがHDDなのかちょいと迷ったけれど、2台とも何とか1人でできた! これで安心してリサイクルしてもらえるよ。
こんなふうに、ちゃんと内部構造を知っていればいいんだ。それを知らないと、ただやみくもに処分に出したあとのことを心配しなくちゃいけなくなる。世の中には、自分が知らないから怖いだけってことのなんと多いことか。取り外したHDDを手にしたら、ずっしりと重くて、まるで解体した生き物の臓器のように思えた。
時々、もしかしたら自分は一度人生を生き終えているんじゃないかと思うことがある。行き先は最初から決まっていて、あらためてその道をたどっているんじゃないかって。つまり、命には特定のハードディスク(人生装置)が埋め込まれていて、どんなソフト(経験)を導入しようとも、埋め込まれたパターン(行動や感情)で処理され、同じ結末に向かっているというか。いやいや、そんなはずはないし、そうだったらあまりにむなしいよ。やっぱり努力で人生を切り開けるんだよね、ねっ?
でも、どうして人はいつも同じところでつまずいて、どうしていつも同じことを考えて、どうしていつも同じ間違いをしでかしてしまうんだろう。できそこないのハードディスクが埋め込まれてしまってるのに、私ったらそのことに気づかないふりをして、無駄な努力で自分をなぐさめているだけなのかな。
