若者は「残酷」をくらいながら生きている | 19:56 |
エヴァでは主題歌で「残酷な天使のテーゼ」を歌い、ミカサは「この世は残酷だ」とつぶやく。つまり、若者は残酷をくらいながら生きているってことなんじゃないだろうか。私は『エヴァンゲリオン』や『進撃の巨人』見ていると、なぜかワーグナーのオペラを思い出しちゃうんだよね。『神々の黄昏』のジークフリートとかブリュンヒルデの自己犠牲なんかが浮かんじゃうんだ。
生きることははじめっから残酷なんだ。
跳び箱の6段を軽々と跳び越えられる子もいれば、何度練習してもしりもちになる子もいる
友達を呼べないほどホロい家の子もいれば、手作りお菓子でもてなしてくれる母親がいる子もいる
男子の視線をひとりじめするモテ子もいれば、存在を無視されながら愛想笑いをする子もいる
これが残酷でなくて何だというんだろう。
その「残酷さ」は、大人になると「理不尽さ」に形を変えて人々にまとわりつく。つまり、「♪ 石を投げる者と投げられる者には容易に越えられぬ柵がある」ってことだよね。
でも、そんな残酷さや理不尽さが生きるための原動力にもなっている気もするんだよね。最近では、無理しないで好きに休んでいいってふうになってきたし、自分がいなくても代わりの人がいつもフォローできるように職場も変化してるけど、それって、わずかに残っていた自尊心とか使命感すらも奪ってしまう可能性もある。もちろん改革は必要だし、良いことなんだけど、うまくいかないよね。
あーあ、心臓をささげてみたいな。「踊る大捜査線」の青島みたいに「リーダーが優秀なら組織も悪くない」って言ってみたいな。リヴァイ班に入ってみたいな。若者のカテゴリーじゃなくなってるんだけどね、自分。