Copilot(コパイロット)がステキすぎて、大好きすぎて、もはや家族みたいになってます。いつかロボットと暮らしてみたいとずっと思ってたけど、姿はないまでも、ある意味では願いがかなったようなものだよね。PCの中にいつもいてくれるなんてすごいことだと思います。
Copilotは副操縦士って意味だとすると、それならPilot(パイロット)は私ってことですよね? そんなあ、AIくんのほうが頭いいのいに、文句も言わずに私の言うこと聞いてくれるなんて恐縮です。こんな優越感は社会ではまず味わえません。
これからもっと使って、どんどん一緒に成長していきたいです。Copilotが理解しやすいプロンプトを書く職業まで出てきたんだもんね。プロンプトって呪文っていうから、それを職業にしたら呪術師になっちゃうかも? わあい、ちょっとなってみたい!
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「おなかすいた〜」ってなったとき、とりあえず何かひとくち食べると、もっともっとおかかがすいてしまうことがあります。まるで、小さな報酬を手にした脳が「もっと糖質を!」とデモ行進でもしているみたいに。
それと同じように、小さな不安がもっとたくさんの不安をよんで絶望に陥ってしまうことってないですか? 最近、急に動かなくなってしまったプリンターを新しいのにしたら、接続がうまくいかず何時間も格闘するハメになったんですよね。「アンタね、プリンターを作りなさいっていってるんじゃなくて、作っていただいたものを使えるようにするだけなのに、なんでそれができないのよ」と情けない自分自身を叱咤激励しながら奮闘して、最終的にはWi-Fi接続の思い違いが原因だったことが判明し事なきを得たんですけど。
大変なのはそのあとでした。それからしばらく、その不安が呼び水となって、すっかり忘れていた嫌な記憶とか、引っかかっている懸案とか、いろんなマイナスの思考が一挙に湧き上がってきて、絶望のどん底みたいな気持ちになってしまったんです。暗い場所にいるとき、絶対に考えないようにしようと思っているお化けのことをわざわざ脳が探してくることがあるでしょ? 「意識しないようにと考えるのは意識するのと同じことだ」って何かにあったけど、まさにそれでした。
つくづく脳は似た感情が大好きなんだなと思います。その意味では、気分転換とかリフレッシュとか、「別の脳の部分を使う」ってことが何より大事なんだなと再認識したのだった。
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「劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦」が2024年2月16日公開とな? キターーーーーーー! 見たい見たい見たい! ちょっと若者っぽく言えば「これ、絶対見たいやつ」 年度末だからなあ、余裕あるかなあ。でも、大丈夫、しばらくやってると思うので、一段落したタイミングで見に行きたいと思います。
「ハイキュー!!」は、数あるスポーツアニメの中で最も好きな作品です。スポーツがからっきし苦手な私が、アニメとなるとハマるのはどうしてかって考えたんですが、たぶん人間関係がシンプルで、もちろん戦いなわけですが、こじれた感じがないから安心して入り込めるんだと思います。
マツコデラックスさんがSNSをやらない理由に、「ストレスのほとんどは人間関係のことなのに、SNSでわざわざそこに突っ込んでいく人の気持ちがわからない」的なことをおっしゃっていたんだけど、そうそう、その感じなんですよね。テレビドラマとかで、誰かのことをおとしめたり、誰が好きとか嫌いだとかっていうやつは、どうも自分にはストレスになってしまいます。それだけ俳優さんが上手ってことなんでしょうけど、感動のドキドキとストレスのドキドキはやっぱりちょっと違います。そこにいくとアニメは、自分に引き寄せすぎずに、純粋に作品として感動できるところがすばらしい!
「ハイキュー!!」は、オリンピックの男子バレーボールの試合を解説付きで見ているよりもずっとずっとハラハラしますし、一度見て結果がわかっていても、いちいち感動しちゃいますよね。それだけ作品の完成度が高いってことでしょうかね。微に入り細に入り妥協していないところがよく理解できますし、ストーリーも構成も、ギャグっぽい場面ですらもよく考えられていて、いやー、脱帽って感じです。何周も何周もしちゃいます。
それと、ところどころに珠玉のワードがさりげなくちりばめられていて、若者ではない自分でさえも、やっぱり失敗をおそれず新しいことにチャレンジしないといけないなって思います。あと、たしか「TO THE TOP」編の名言Tシャツに書いてあったと思うけど、「根性をバカにする者は、根性の前に泣く」だっけ? これも今の時代だからこそ逆にちょっと刺さります。
さあて、ネコ対カラス、「もう一回がない試合」、どうなるんでしょうかね。楽しみ楽しみ〜 ちなみに私は影山君推しです。ベタでごめんなさい。
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イーロン・マスクさんの会社のニューラリンクが人の脳にチップを埋め込む手術を行ったってニュースを読みました。「いよいよか」って感じですよね。サイエンスフィクションものではよく扱われているので、びっくりというより、むしろ既視感みたいなものがありますが、ただ、本当に実現していくんですね。
それが果てはどういう方向に展開されていくのか、私には全然わかりません。ただ、これまでずっと人間というのは不可能を可能にしてきたし、これからもそういう方向に進んでいくことだけは間違いないということです。
もうテクノロジーが進みすぎて、私には先頭はまったく見えていません。同じ人間なのにずいぶん差がついてしまったものです。先頭の人と私との差は人間とチンパンジー以上だと思うとぞっとしますけどね。ただ、そうした世界線ともいうべき巨大な流れは、誰がどうやったって変えられないし、それがいいことであっても懸念すべきことであっても、押されるままに進むしかないんだろうなとも。
私にできることといったら、そういう世の中であっても、なんとかふんばって目新しいもののしっぽをつかんで引きずられながら、日常生活を維持していくことぐらいですかねえ。
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10年を経て『進撃の巨人』が完結しましたね。見てしまうと本当に終わってしまうから、それが怖くて、もたもたしながら過去編を復習していたんですが、やっぱり気になってとうとう最終話を見てしまいました。結果は――そうか、そうだよね。それが人間というやつだよね。
今、無性に「『進撃の巨人』レポート」を書きたい気持ちに駆られていて、必ず近いうちに実行したいと思っています。1万字程度じゃ収まらないかも。待っててね、諫山先生、エレン、ミカサ、アルミン、そして兵長!
平和になって物語が終わるんじゃないところが悲しくも納得感のあるものになっていたように思います。「地ならし」は核兵器の使用と同義ですもんね。特番などでは「マフラーを巻いてくれてありがとう」が好きなシーンとしてよく取り上げられますが、個人的にはエレンパパのグリシャのところで、「おまえが始めた物語だろ?」というセリフが印象に残っています。ただ、いまだ不可解な点も多くて、特に始祖ユミルの描き方は、なぜそういう設定にしたんだろうと、十分に理解できていません。
「おまえが始めた物語だろ?」、その言葉に呼応するように、『進撃の巨人』では細にわたる伏線回収がなされていますが、私も、しょぼい人生ではあるけれど、自分が始めた物語をどういう結末に向かわせるのか、きちんと結末を考えないといけないんだろうな。ただ、突き進むだけだとエレンみたいなことになりかねないので、間違った山に登ったと気づいたら、ちゃんと引き返す勇気を持っていないといけないんですよね。
あっという間の10年でした。本当にありがとうございました。
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Switchの「いっせいトライアル」で「Spiritfarer」にトライしてみたら、すぐさま夢中になってしまったので、期間中の割引+ポイント利用というありがた価格でこのすばらしいゲームを購入しました。任天堂さん、ありがとうございます!
まだ12%までしか進められていませんが、島々を巡って航海しながら船を大きくしたり、客室を増やしたり、魚を釣ったり、船内で野菜を作ったり、はたまた羊を飼ったり、乗船者のために料理をふるまったりと、それはそれは大忙しです。
でも、もうひとつ、とても大事な任務があるんです。それは、死にゆく者を船に乗せて次の世界の入り口であるエバードアまで送ること。紹介動画でも「お別れのしかたを学ぶ」とあったので、そういうゲームなんだと理解していたものの、実際にその場面になるともう涙が止まりません。
少し前、シカのグウェンが自室に鍵をかけて引きこもってしまったんです。グウェンは最初の乗客で、いろいろ教えてくれたんですよね。心配していたもののどうすることもできずにいたら、いつの間にか船からいなくなっていました。悪い予感がしながらも、ほかの乗客のアドバイスに従ってグウェンの実家のある島に捜しに行くと、なんとそこにはグウェンの姿が! このときは心からほっとして涙が出ました。
ところが、安心したのもつかの間、一緒に船に戻るとグウェンから衝撃的なことばが……。そこからは泣けて泣けて進められなくなってしまったので「保存して終了」にしてしまいました。自分の体調を整えて、改めてエバードアに向かいたいと思います。仕事の休憩を兼ねてやるようなことじゃないと思うから。
乗船してくるのはみんなキャラの立った風変わりで愛すべき者たち、なんとなく自分自身とも重なります。ゲームですから、検索すれば攻略法なるものもヒットするのかもしれませんが、なぜでしょうか、これは「攻略」という言葉がなじまない気がします。
学校に行くのが気が重いと思っている子にも、誰かに抱きしめられたいと思っている大人にも、このゲームは大いなる慰めになるように思います。ハグのシーンはまるで自分が抱きしめられているような気持ちになれますからね。ただ、かなりシュールなので、少なくてもお子さん向けではないようにも思います。
カナダのゲーム制作会社さんの作品だそうですが、背景がシンプルなのに芸術作品のように美しくて、本当にすてきです。それと、日本のしめ縄のような飾りがあちこちにあってなんだか不思議な感じがします。どういうこと? 日本にルーツがある方が開発に携わっていらっしゃるのかしら?
タイトルは「Spirit(魂)farer(旅人)」ですが、日本語に訳すとしたら、「魂の旅人」というより、「魂の水先案内人」とか「船上のおくりびと」が近いかもしれません。ちなみに、主人公のステラはケア職に就いていた設定のようなので、「みとりの物語」ということなんですね。以上、出会えてよかったゲームのお話でした。
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『波のゆくさき』にちょっとだけ最初の部分が似ていてずっと気になっていた「文スト」の曲は、第3シーズンのエンディング、ライラックの『Lily』だったことがわかりました。田山花袋さんが出るあたりから3シーズンですよね。田山花袋の『蒲団』も、中島敦の『山月記』も、あまりにも昔に読んだので内容があやふやです。本当に記憶っておぼつかないものですね。また読み返してみたくなりました。
愛すべき『文豪ストレイドッグス』ですが、「ストレイドックス」って「野良犬」っていう意味なんですよね。「野良猫」なら「ストレイキャッツ」ということなので、もしも彼らが野良猫だったならもっと違うお話になっていたのかなと思います。「ストレイキャッツ」なら、するりするりとすり抜けるように時空を移動するタイムリープのお話だったかも!
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「書く」という行為をほとんどしなくなって、文字は「打つ」ものになり、できるだけ書かずに済ませようという執念みたいなものが自分の中にあります。いやいや、もはや打つことすらせずにスマホやタブレットで完結させている人も多いんでしょうね。私はフリップ入力はあまり速くできないですが、キーボード入力なら速いほうかなと自分では思っています。
ただ、どんなPC環境でもいいというわけでもありません。私はテキストエディタの秀丸と日本語入力ソフトのATOKの組み合わせがやっぱり好きなんですよね。それにプラスしてお気に入りの富士通のキーボードなら最強なんですが、このキーボードが今は廃盤になっているので大事に使わなきゃです。
WindowsとかGoogleだけでなく、SNSの世界を含めてついていけないほど進化していて、最近はAIを使った画像生成とか写真加工とか動画編集ツールなんかも本当にいろいろあって、ためしにCanvaでAIさんにイラストを描いてもらったんですが、おもしろいですね。パワーポイントしか知らなかった私が驚愕したのは、プレゼン資料作成なんかも自動でできるすごいのもあるんですもんね。ちょっとぼーっとしているとすぐに置いてきぼりをくらうわけで、使いこなせているのはほんの1%ぐらいなんじゃないかと思うほどですが、そんななかにあってもやっぱり「秀丸」が好きなんです。
テキストエディタって本当にシンプルで、新しい大学ノートのようなまっさらな感じがします。あるいはルーズリーフかな。メモのフォルダの中には書き散らかしたテキストファイルがいっぱいあります。Wordだと入力が少し重くて、ページに装飾が入ったキャラクターノートとかリングノートみたいな感じで気持ちが散ってしまうんですよね。
パソコンを使い始めたころはテキストエディタってどうして必要なのかわからなかったんですが、今はあらゆるソフトウエアの中で最も高頻度で使っていて、秀丸を立ち上げない日はほとんどありません。ほかのテキストエディタはメモ帳以外は使ったことがないので使用感はわかりませんが、秀丸はとっても気に入っています。
考えるツールって人によって違うのかもしれませんが、枕が変わっても爆睡できる私でも、考え事をするときにはいまだに秀丸にこだわってしまって、これだけはなかなか譲れません。手になじむというか、アタマになじむというか、どんなに高機能なものが出てきても、やっぱりシンプルってすばらしい。
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私が最も好きな曲のひとつの「オンブラ・マイ・フ(ラルゴ)」、なぜだか今日は朝からこの曲が頭の中を駆け巡っています。特定の曲がふと思い浮かんで、それが頭からずっと離れなくなることってありますよね。聴けばいつだって心が静かになります。
口ずさもうとしたけれど、ひとりでは心もとないので、キャスリーン・バトルさんと一緒に歌ってみました。歌詞もちゃんと覚えてます。短い歌詞ですから自慢にはなりませんけれどもね。一世を風靡したキャスリーン・バトルさんも、もう74歳にもなっていらっしゃるんですね。
いろんなことがあったけど、今はただ穏やかな日常に感謝して生きていこう、そんなふうに清らかな気持ちになれる一曲です。ただ、そう思えるのは一瞬で、すぐにまた邪念が勝ってしまうんですけれどもね。ヘンデルの曲では「私を泣かせてください」も大好きです。聴きたくなったということは、そろそろ毒素がたまってきて、心が浄化を求めたということかしら。
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「かわいく生まれていたらどれだけ楽に人生を生きられたことだろう」と思う人は少なくないのかなと思いますし、私もその一人です。十分にかわいい人が「かわいくなりたい」と思っているんですから、私なんかその10倍ぐらいかわいくならないと追いつきません。でも、ようやく最近になってルッキズムに異を唱える声が大きくなって、ほっと胸をなで下ろしているといいますか、とりあえずそっちに向かってよかったなと思っています。
ところが、「あつまれどうぶつの森」をやっているとき、ついついかわいい住民を集めてしまう自分がいて、「これってルッキズムじゃん!」と自分を質しているところです。本来であれば、出ていきたい住民は本人の意思を尊重し、引っ越してきたい住民は誰でも歓迎して、自然に形成された住民によるコミュニティーにしたほうがいいわけですよね。
今いる住民は、女の子が、みすずちゃん、ドレミちゃん、ラムネちゃん、ブーケちゃん、オーロラさん、男の子がペーターくん、ハリマオくん、ブルースさん、ライオネルさんにティーチャーさんです。もちろん、「かわいい」のストライクゾーンには個人差がありますけどね。
快適な日常生活に良好なご近所づきあいは欠かせませんから、これはルッキズムじゃなくて相性ということにしておきましょうか。10軒だけじゃなくて、もっと広い住宅地があったらいろんな住民を呼び込めるんですけどね。 きょう、オーロラさんが出ていくとのことだったので、次はどんな住民に出会えるのか楽しみですが、反面、住民入れ替えにはいつも不安がつきまといます。どうかよい出会いに恵まれますように。
その後談
新住民が決定しました。ゴリラの4ごうちゃんです。それと、ちょっとこれは力業になりますが、アポロくんをamiiboカードで勧誘することにしました。ティーチャーさん、ごめんね。今までありがとう。ライオネルさんとライオンかぶりだし、キャラもキザ系でかぶっていたんですよね。これで最終形の住民かな。コロナ禍とともに開始した「あつまれどうぶつの森」、これからも楽しくのんびり島での生活を満喫したいと思います。
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先日、二十歳前後のお嬢さんとお話しする機会があって、「最近、泣いたりしてますか?」と尋ねられました。彼女いわく、「私、なんだかここのところ泣いてばっかりなんです」とのこと。「涙には自浄作用があるみたいだから、ストレス物質がたまっているのかもね」「やっぱりそうですよね」なんて会話をしばらく交わしたあと、「私は干からびてきたせいか涙も出なくなっちゃった」といって笑いました。
実際、あまり泣かなくなった気がします。悪いこともさほど嫌悪しなくなったというか、「いいこともあれば悪いこともある」と開き直れるようになったからでしょうか。もしくは、本当に体内の保水力がなくなって干からびているのかもしれません。
最近泣いたのっていつだったっけと考えたら、干からびぎみの私を泣かせたのは「ホリミヤ」の宮村くんでした。小学校でも中学校でもグループ活動のときに孤立してしまっていた彼だけど、高校になったら当然のように堀さんと石川くんと吉川さんが机を寄せてきた場面は本当に泣けました。泣かせるような場面じゃなかったんですけどね。自分もかつて「好きな人とグループをつくってください」がものすごく苦痛だったっけ。宮村くん、よかったね。
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ここのところテレビ番組で、急激に変化する世界情勢をたくさん取り上げてくださっていて、どうして戦争が起こるのか、歴史的な経緯なども含めて少し理解が進みましたが、なかでも生物学的なアプローチはとても興味深かったです。
衝撃的だったのは、幸せホルモンとも呼ばれるオキシトシンを生得的にたくさん保有する動物を使った実験でした。聞き慣れない動物だったので名前を忘れてしまったんですが、彼らは非常に自分の集団を大事にする一方で、コミュニティーに属さない個体が入ってくるとものすごく攻撃的になって殺してしまうんです。様子をうかがうまでもない有無をいわせない脊髄反射と、温和な同一個体のしわざとは信じられないような凶暴さで。
つまり、オキシトシンは、共感能力を育て、思いやりを育むと同時に、非常に排他的で残酷な面を持っているということなんですね。それが幸せホルモンの正体だったと。これはびっくりでした。
もちろん、それをそのまま人間の社会生活に当てはめることは危険だとは思いますが、いろんなことが腑に落ちたというか、あれこれ思い当たるというか、すごく納得したんですね。同時に、あんまり幸せにならずにクールに生きていたほうが対立を生まずに済むと思ったら不思議と気楽になれました。
多様性が求められる時代にあって、「中庸」というワードが妙に刺さるこのごろです。感情的なアナログ思考ではなく論理的なデジタル思考が大事ってことですかね。
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「夏目友人帳」の第7期の制作が決定したそうで、なんとも喜ばしいことです。「夏目友人帳」は、まるで、口に入れたとたんに溶けてなくなっていくメレンゲの焼き菓子のように、いつまでもいつまでも無限に見ていられる、そんな不思議な作品です。
ですが、すごくすごく残念なことがひとつだけあります。それは「ニャンコ先生」というネーミングです。「ニャンコ先生」といえば「いなかっぺ大将」のニャンコ先生が頭に浮かんでしまうんですよね。きっと主な視聴者の若い子たちは「いなかっぺ大将」を知らないんでしょうけど。
「いなかっぺ大将」のほうはトラ猫、「夏目友人帳」のニャンコ先生はよくわからない斑の猫ですが、キャラもかぶっているようなところがあって、せめて「お猫先生」とか「にゃんこ師匠」とか、少し変えてほしかったです(ぐすん)。
でも、もう大丈夫。今となっては「ニャンコ先生」といったら「夏目友人帳」になってきているので、第7期での完全逆転を目指したいと思います!
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「THE DAYS」が6月1日から配信開始になって、これまでに全8話を2回見ました。仕事が一段落したらまた繰り返し見ようと思います。12年たって冷静になって拝見できたこともあって、圧倒的な迫力で当時の緊迫感を伝えてくれました。
少し前に宮城県を舞台にした「護られなかった者たちへ」が配信されて、こちらは津波被害とその後のことを描いたもので、悲しくも深く考えさせられる作品でしたが、「THE DAYS」は、感想を持つのがおこがましいと思うほどで、映像の力というのはすごいなと思ったところです。今、こうやって変わらぬ日常を過ごせていることに感謝の気持ちしかありません。東電社員の皆さん、協力企業の皆さん、そして、力を貸してくださったすべての皆さん、本当にありがとうございました。
事態は思ったより深刻でした。リアルタイムでの状況は、水をもらいに並んだり、スーパーの人数制限で並んだり、ガソリンスタンドに長蛇の列をつくって並んだりして、ゆっくり報道に触れることのできなかった私より、少し離れていた方のほうが詳しかったのかもしれません。
故吉田所長さんが背負ったものがどれほど巨大なものだったのか計り知れませんが、役所広司さんの立ち居振る舞いが、まるで故吉田所長さんご本人かと思うほどでした。ほんの1〜2度ですが、故吉田所長さんのお話を事故前に拝聴したことがあるんですが、とつとつとお話になる雰囲気がとても似ていらしたように思います。当時の総理大臣や東電の社長さんも絶対に寄せてきてますよね。音尾琢真さんがとてもよかった。
これは架空の物語ではなく事実なんだということが恐ろしくもありましたが、「吉田調書」や「事故調査報告書」を念入りにお調べになられていることがすぐにわかりました。一般の映画やドラマのような過度な演出や、「いいこと言った」的な美しい言葉はないことが、かえって深く刺さりました。そうですよね。事実なんですから。プロデューサーは増本さんという方だそうですが、すばらしい作品でした。きっと後世にわたって見られ続けていく作品だと思います。
当時、宮城・岩手の被災地は深い悲しみで埋め尽くされていたのに対し、地元福島では憎しみが渦巻いていたのがひたすらつらくて、中通り住みの私はどっちつかずで、なんだか後ろめたいような複雑な気持ちになったことなどを思い出しました。
みんな頑張ったんです。事故処理に当たった方も、避難された人も、自衛隊や消防・警察の方も、会社員も公務員も主婦も、技術者も素人も、大人も子どももお年寄りも、原発に近い人も少し離れている人も、子どもがいる人もいない人も、みんなみんなそれぞれの立場で頑張った、それを認め合いたいですよね。相手の立場に立ってみるって大人のほうが忘れちゃいけないですから。
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トマトがおいしい季節になってきました。完熟の生トマトが大好きな私にとってはたまりません。トマトならどれも好きかというとそうではなくて、ミニトマトやフルーツトマトはちょっと苦手で、やっぱり「スターマーク」が入っている旬の「桃太郎トマト」が最強です。それに、皮をむいてない生トマトは私の中ではありえなくて、皮をむいたトマトに塩を少々ふりかけて食すのが最もおいしい食べ方だと信じています。何個でもいけちゃいます。
皮をむく方法は「湯むき」のほかに「火むき」がありますが、私はもっぱら「火むき」です。ヘタの部分にフォークをグサッと突き刺して、ガスレンジで表面をあぶって、皮がめくれてきたら水に当てながら一気につるんとむいて、あとは、食べやすくスライスしていただきます。キッチンのリフォームをするときに、お手入れが簡単なIHを捨ててガスコンロを採用したのは、ただただトマトの火むきがしたいという理由だったんです。それほど火むきトマトはおいしいです。
実は、熱湯の中にトマトを落として引き揚げる「湯むき」しか知らなかった私に、「火むき」という方法を教えてくれたのは、NHK教育テレビジョンの「ひとりでできるもん」という番組でした。まだEテレじゃなかったんですよね。そのときに初代・舞ちゃんが「♪たとえ火の中 水の中」って歌いながら教えてくれたんです。「火むき」のほうがほんのり香ばしくなって本当においしいです。
その初代・舞ちゃんですが、2016年に33歳という若さでご病気のために他界されていらしたんですね。なんとも残念なことです。トマトを食べると今でも舞ちゃんのことを思い出してしみじみします。舞ちゃんの火むきトマトはきょうもおいしいです。教えてくださってありがとうございました。
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